沖縄集団自決、隊長はいさめた2008-02-23 Sat 02:19
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000977-san-soci
小林よしのり先生の 戦争論1,2,3 は、とても 面白いマンガです、かなり 考えさせられます。 値段は 安いです♪ 毛嫌いせず、一度 熟読すること を薦めます。 最近の イラク戦争 のいきさつ・その後 についても、 挑戦的平和論 で論じられています。すごいです。しかも 安い♪ ところで、 勇気を振り絞って 沖縄戦の 証言をなさってくださいました 宮平氏(78) を尊敬いたします。 長い間 気苦労をかけてしまって 申し訳ない 気持ちになりました。 日本人にとって 死に方 は、とても重要です。 1.泳ぎが得意じゃないのに 溺れていた他人 を助けようとして 一緒に溺れ死んだ 2.電車のホームに落ちた他人を 引きずり出そうとして 一緒に はねられて死んだ 3.火事の家に取り残された他人を 助け出そうとして 一緒に焼け死んだ 4.強盗の人質を助けようとして 撃たれて死んだ 5.社長でもないのに 仕事を一生懸命やりすぎて 過労死した。 6.遭難者(遺体も含む)を助けるための捜索中に 予期せぬ事故にあって 死んだ どの 死に方 に対しても ↓のように 公衆の面前で 堂々と 罵倒できる 日本人 は いないと思います。 なんで そんなことしたの!? 無能なくせに! どうせ お前1人では、どうにもならんよ! 自分の命や 残される家族を 粗末に扱った おまえは バカだ!! どうせ その他人は 死んでしまう 又は すでに死んでいるんだよ!そんなヤツは ほっとけ! 助けようとして死んだお前は 無駄死にだ!! 5に対して 「 自分や 自分の家族を 粗末に扱った おまえは バカだ!! さっさと会社を辞めれば良いのに!」 と言いたいヒトが いるかもしれません。 しかし、過労死したかたは、あの世で↓と言っているかもしれません 「 当時の会社は 本当にヤバかった。社長以下 みんな 死にそうになって 何とかしようと 昼夜を問わず 仕事をし続けた。だから 僕も いっしょに仕事した。会社を辞めようとは なぜか 思わなかった。会社の苦境は、乗り越えられる予定だった。苦境を脱した後で、ゆっくり家族サービスするつもりだった。僕が過労死するなんて 思ってもみなかった。僕の過労死が 誤解されていることは とても残念です。 」 死に方が すさまじい と、残された子孫の中で、良い伝説になります(悪い伝説はだめです笑) 長生きして 天寿を全うするのも 大変良いですが、 こういう死に方も 良いな とも 正直思います。 亡くなったヒトの遺体や遺品が はじめて見つかったとき、 その知らせを聞いた遺族は、派手さはないものの 非常に喜ぶそうです。 捜索隊や警官に 頭を下げて お礼するそうです。 とっくの昔に 死んでいるにも関わらず。 骨が見つかっただけにも関わらず。 見つかった死体は すでに腐っており異臭を放っているにも関わらず。 遺品のみの発見にも関わらず 死ぬこと 仏さんになること 残された者の その後の行動 は とてもとても重要な気がします。 間違えると とんでもないことに なります。 沖縄戦で 住民の集団自決がありました。 教科書には、「 日本軍が自決を強制した 」と書いてあります。 でも、その記述は ウソです。 小林よしのりさんの戦争論に書いてあるように、 自決した住民の 本当の願い は、 「 沖縄を守ろうとした軍のみんな、一緒に苦労した住民仲間 みんなで 潔く 堂々と いっしょに自決したい。 」 だと 僕は思います。 梅沢少佐の弁です↓ 「(手榴弾など)そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方(住民)を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ(これは命令である) 」 梅沢少佐を 本心 を僕は予想しました↓ 住民の皆さんの お気持ち・ご覚悟・軍へのお気遣いを ありがたく 頂戴いたします。深謝いたします。 ですが、手榴弾は お渡しできません。 そして、不甲斐ない 軍で 本当に申し訳ありません。 かといって、私の上司や部下を 罵倒することもできません。 住民のみなさんが察するように、どの軍人も それぞれの立場で、現状打開の死力を尽くしております。 ですが、遺憾ながら、残念ながら 住民の避難船は、ことごとく撃沈されております。 正直申しまして 現状打破の良案は ない です。 しかしながら、住民みなさんの 自決 だけは お待ちください。 我々軍人は、玉砕する覚悟です。それも 仕事のうちだと 腹をくくっております。 ですが、住民の集団自決は 受け入れられない。 なぜなら、住民を守るために軍があるからです。 また、住民は、戦闘地域から 避難して良いのです。 いや、避難しなけばならない。 我々軍は、あなた方を 本土へ 逃がしてあげたいです。 でも それが かなわない・・。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000977-san-soci 沖縄集団自決、隊長はいさめた 軍強制説否定する新証言 2月22日23時15分配信 産経新聞 沖縄県座間味島で起きた集団自決 をめぐり、 同島の村長が 日本軍の隊長 に集団自決をいさめられ、 自決のために集まった住民に解散を指示していた ことが、 当時の防衛隊員の証言で明らかになった。 教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。 沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。 宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。 そこで、宮里助役らは 「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」 「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」 などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。 これに対し、梅沢少佐は 「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」 と命じた。 村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、 梅沢少佐が 「おれの言うことが聞けないのか」 と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。 同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、 野村村長は 「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」 と話した。 このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。 宮平さんは 「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」 と話す。 その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、 宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。 宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。 そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。 宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。 |
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